出口すみ(読み)デグチ スミ

20世紀日本人名事典 「出口すみ」の解説

出口 すみ
デグチ スミ

明治〜昭和期の宗教家 大本教教主(2代目)。



生年
明治16(1883)年2月3日

没年
昭和27(1952)年3月31日

出生地
京都府何鹿郡本宮町(現・綾部市)

別名
別名=出口 澄子(デグチ スミコ)

経歴
明治25年大本教の開祖、母・出口なをの神がかりに出会う。33年金明霊学会会長・上田喜三郎(出口王仁三郎)と結婚し、大正7年なをの死後、大本教2代目教主となる。大正6年から機関誌「神霊界」を発行。“下からの世直し”を訴えて10年及び昭和10年の2度不敬罪などで厳しい弾圧に遭う(第1次・第2次大本事件)。第2次大本事件では投獄され、6年余り獄中生活を送った。戦後愛善苑の名で再興した。著書に「おさながたり」。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「出口すみ」の解説

出口すみ

没年:昭和27.3.31(1952)
生年:明治16.2.3(1883)
大本教の2代教主。京都府何鹿郡本宮町(綾部市)に出口政五郎となおの5女として生まれる。明治25(1892)年1月5日,大本の開祖となる母なおの神がかりに出会う。同33年,上田喜三郎(出口王仁三郎)と結婚し,大正7(1918)年なおが死去すると,「女の御世継」として,教主に就任した。大本は2度の弾圧を受けたが,昭和10(1935)年の第2次大本事件では投獄され,6年余におよぶ獄中生活に耐えた。戦後,大本を愛善苑の名で喜三郎と共に再建した。<著作>『おさながたり』<参考文献>『大本七十年史』

(川村邦光)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

367日誕生日大事典 「出口すみ」の解説

出口 すみ (でぐち すみ)

生年月日:1883年2月3日
明治時代-昭和時代の宗教家。大本教教主
1952年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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