日本歴史地名大系 「出塚村」の解説 出塚村いでづかむら 群馬県:新田郡尾島町出塚村[現在地名]尾島町出塚北境を石田(いしだ)川が東流し、東は粕川(かすかわ)村・安養寺(あんようじ)村、西は世良田(せらだ)村・徳川(とくがわ)郷。南方の出塚本村(いでづかほんむら)、北方の出塚新田からなる。仁安三年(一一六八)六月二〇日の新田義重置文(長楽寺文書)には、空閑の郷々一九ヵ郷の一として「いてつか」がみえ、義重の庶子らいわう(義季)の母へ譲られている。同所はその後大館(おおたち)郷に属したらしい。観応三年(一三五二)六月一八日、尼了観は大館郷内出塚村半分北方の所当一八貫文の地を長楽(ちようらく)寺へ寄進した(年月日未詳「長楽寺寺領目録案」長楽寺文書など)。寛永二年(一六二五)当村内三〇〇石が天野小三郎に与えられる(記録御用所本古文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報