日本歴史地名大系 「出羽国(羽後国)」の解説
出羽国(羽後国)
でわのくに(うごのくに)
出羽の名は「続日本紀」和銅元年(七〇八)九月二八日条に「越後国言、新建出羽郡、許之」とみえるのが初見で、越後国の申請を受けて新たに越後国の北部に出羽郡を置いたと記す。同二年七月一日条には「令諸国運送兵器於出羽柵、為征蝦狄也」とあり、軍事基地として
原始
秋田地方の縄文時代は西暦紀元前八〇〇〇―前七〇〇〇年から西暦紀元を過ぎるまで、長い年月にわたると推定される。それだけに早期から晩期までの各遺跡、多彩な遺物包含地も広く分布し、海成・河成の段丘、丘陵面や扇状地上に発見される。その生活を物語る貝塚は
四世紀後半には東北地方南部で古墳が、五―六世紀には福島・宮城地方で中期古墳が築かれたとされるが、秋田地方で確認されるのは後期の八世紀以降の古墳である。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報