出羽国(羽後国)(読み)でわのくに(うごのくに)

日本歴史地名大系 「出羽国(羽後国)」の解説

出羽国(羽後国)
でわのくに(うごのくに)

出羽の名は「続日本紀」和銅元年(七〇八)九月二八日条に「越後国言、新建出羽郡、許之」とみえるのが初見で、越後国の申請を受けて新たに越後国の北部に出羽郡を置いたと記す。同二年七月一日条には「令諸国運送兵器於出羽柵、為蝦狄也」とあり、軍事基地として出羽柵でわのきがすでに機能している様子を伝える。同五年九月二三日条に「太政官議奏曰、建国辟疆、武功所貴、設官撫民、文教所崇、其北道蝦狄、遠憑阻険、実縦狂心、屡驚辺境、自官軍雷撃、凶賊霧消、狄部晏然、皇民無擾誠望便乗時機、遂置一国、式樹司宰、永鎮百姓、奏可之、於是始置出羽国」とあり、北方経営の一環として出羽国が設置され、同年一〇月一日条にはさらに「割陸奥国最上置賜二郡、隷出羽国焉」とあり、直ちに最上・置賜二郡(現山形県)をも出羽国に編入し、一国としての形を整えた。以来近世末までの出羽国は、現鹿角かづの市・鹿角郡(陸奥国)を除く秋田県域を含んでいた。

原始

秋田地方の縄文時代は西暦紀元前八〇〇〇―前七〇〇〇年から西暦紀元を過ぎるまで、長い年月にわたると推定される。それだけに早期から晩期までの各遺跡、多彩な遺物包含地も広く分布し、海成・河成の段丘、丘陵面や扇状地上に発見される。その生活を物語る貝塚は土花つちはな(由利郡西目町出戸でと菖蒲崎しようぶざき(本荘市川口)新屋浜あらやはま(秋田市新屋)児桜こざくら(秋田市寺内町)の砂丘上、角間崎かくまざき(南秋田郡若美町)寒風かんぷう山裾野台地上、女川おながわ男鹿おが市船川)萱刈沢かやかりさわ(山本郡八竜町)の海成段丘、柏子所かしこどころ落合おちあい(能代市)の河成段丘上などに発見されている。集落跡は清水しみず遺跡(鹿角市八幡平)のような竪穴住居が最も多く、下堤しもつつみ遺跡(秋田市四ッ小屋よつごや)は縄文中期の竪穴住居一〇が集合し、藤株ふじかぶ遺跡(北秋田郡鷹巣町)のように敷石住居といわれるものもある。また特徴的な組石遺跡は大湯おおゆ遺跡(鹿角市十和田)野中堂のなかどう万座まんざの環状列石をはじめ、県内で一六を数える。

志藤沢しとざわ遺跡(南秋田郡若美町)から縄文土器の伝統を有しながら籾痕のある土器片が発見された。新間あらまA遺跡(南秋田郡井川町黒坪)からも同じ籾痕土器が発見され、明らかに弥生式土器であるとされる。二者の年代は紀元二―三世紀を下らないと推定され、その段階で一部では農耕も行われ始めていたといえる。

四世紀後半には東北地方南部で古墳が、五―六世紀には福島・宮城地方で中期古墳が築かれたとされるが、秋田地方で確認されるのは後期の八世紀以降の古墳である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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