仁賀保挙誠(読み)にかほ・たかのぶ

朝日日本歴史人物事典 「仁賀保挙誠」の解説

仁賀保挙誠

没年:寛永1.2.14(1624.4.1)
生年永禄4(1561)
安土桃山・江戸初期の武将仁賀保氏は小笠原氏の支流であり,出羽由利郡仁賀保(秋田県由利郡仁賀保町)より起こり,由利十二党のひとつであった。挙誠は由利十二党の一員である赤尾津道俊の次男であったが,天正15(1587)年に仁賀保挙晴の養子となり,その家督を継いだ。18年豊臣秀吉より由利郡南部の3700石余の所領支配を認められた。関ケ原の戦の折には,徳川方についた。慶長7(1602)年には常陸国武田(茨城県勝田市武田)に移されて,5000石に加増された。さらに元和9(1623)年には,旧領仁賀保に戻り1万石を与えられた。<参考文献>『仁賀保町史

(伊藤喜良)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「仁賀保挙誠」の解説

仁賀保挙誠 にかほ-たかのぶ

1561-1624 織豊-江戸時代前期の武将。
永禄(えいろく)4年生まれ。出羽(でわ)由利郡(秋田県)仁賀保の土豪。由利十二党のひとり。豊臣秀吉につかえ,関ケ原の戦いでは徳川方に属し,上杉景勝の属城庄内(山形県)菅野城を攻略。大坂の陣では淀城をまもり,元和(げんな)9年旧領仁賀保1万石の領主となった。元和10年2月14日死去。64歳。本姓は赤尾津。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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