朝日日本歴史人物事典 「仁賀保挙誠」の解説
仁賀保挙誠
生年:永禄4(1561)
安土桃山・江戸初期の武将。仁賀保氏は小笠原氏の支流であり,出羽国由利郡仁賀保(秋田県由利郡仁賀保町)より起こり,由利十二党のひとつであった。挙誠は由利十二党の一員である赤尾津道俊の次男であったが,天正15(1587)年に仁賀保挙晴の養子となり,その家督を継いだ。18年豊臣秀吉より由利郡南部の3700石余の所領支配を認められた。関ケ原の戦の折には,徳川方についた。慶長7(1602)年には常陸国武田(茨城県勝田市武田)に移されて,5000石に加増された。さらに元和9(1623)年には,旧領仁賀保に戻り1万石を与えられた。<参考文献>『仁賀保町史』
(伊藤喜良)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報