改訂新版 世界大百科事典 「佐竹義敦」の意味・わかりやすい解説
佐竹義敦 (さたけよしあつ)
生没年:1748-85(寛延1-天明5)
江戸中期の秋田藩主,洋風画家。号は曙山。分家壱岐守家から父義明とともに佐竹宗家に入り,1758年(宝暦8)11歳で8代藩主となる。前代の銀札発行の失敗などが藩財政を圧迫し,加えて土崎湊・久保田,江戸屋敷,久保田(秋田)城の火災等が財政難に拍車をかけた。一方,農村は無符人高が増大し,さらに83年(天明3)の飢饉が荒廃の度を強めた。
執筆者:国安 寛 曙山は秋田蘭画の主要作家の一人であった。はじめ狩野派の絵をよくしたが,1773年(安永2)平賀源内が秋田藩を訪れて西洋画の知識を伝えたときから,家臣の小田野直武とともに洋風画に転向し,東洋画の主題に西洋画法を導入した作品を描いた。78年には日本最初の西洋画論《画法綱領》《画図理解》を著した。
執筆者:成瀬 不二雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報