日本歴史地名大系 「分乗寺村」の解説 分乗寺村ぶんじようじむら 鳥取県:東伯郡赤碕町分乗寺村[現在地名]赤碕町西宮(にしみや)今在家(いまざいけ)村の南に位置する。拝領高は二一一石余、本免は五ツ七分。藪役銀一三匁を課されており(藩史)、伏屋氏の給地があった(給人所付帳)。享保一九年(一七三四)の鈴木孫三郎所持本「伯耆誌」によれば高二二五石、竈数一六。幕末の六郡郷村生高竈付では生高二二六石余、竈数一四。享保二〇年中(なか)村の本谷(ほんだに)や大藤谷(おおふじだに)への入会をめぐって、以西谷(いさいだに)の当村や東井手上(ひがしいでのうえ)村など五ヵ村と立子谷(たつこだに)の四ヵ村との間で争いがあった(在方諸事控)。明治一〇年(一八七七)今在家村と合併して西宮村となった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by