日本大百科全書(ニッポニカ) 「切支丹坂」の意味・わかりやすい解説 切支丹坂きりしたんざか 東京都文京区小日向(こびなた/こひなた)1丁目にある坂。東京地下鉄丸ノ内線茗荷谷(みょうがだに)駅付近。江戸時代、小日向台地上に宗門改役(あらためやく)の井上筑後守(ちくごのかみ)の下屋敷があり、1643年(寛永20)キリシタン信者を取り締まるため、この屋敷を取調所とした。1646年(正保3)籠舎(ろうしゃ)を整え、1792年(寛政4)まで続いたが、ここを切支丹屋敷とよび、この下の坂を切支丹坂とした。切支丹屋敷跡の碑や、拷問にあった信者を生き埋めにし、その上に石を置いたという「夜なき石」の碑がある。[沢田 清][参照項目] | 切支丹屋敷 切支丹屋敷跡 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「切支丹坂」の意味・わかりやすい解説 切支丹坂きりしたんざか 東京都文京区南部,春日2丁目の茗台中学校脇から地下鉄丸ノ内線車庫脇へ下る坂。この坂下に,正保3 (1646) ~寛政4 (1792) 年,キリスト教信者を投獄したキリシタン屋敷があったのが地名の由来。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by