下屋敷(読み)シモヤシキ

デジタル大辞泉 「下屋敷」の意味・読み・例文・類語

しも‐やしき【下屋敷】

江戸時代本邸以外に江戸近郊に設けられた大名屋敷しもやかた。したやしき。→上屋敷かみやしき中屋敷

した‐やしき【下屋敷】

しもやしき」に同じ。

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精選版 日本国語大辞典 「下屋敷」の意味・読み・例文・類語

しも‐やしき【下屋敷】

  1. 〘 名詞 〙 控えの屋敷別邸。江戸時代には、大名豪商の主人常住の上屋敷(かみやしき)に対していった。下館(しもやかた・したやかた)。したやしき。
    1. [初出の実例]「某此山影に下屋舗を持て御座るが」(出典:虎寛本狂言・花盗人(室町末‐近世初))

した‐やしき【下屋敷】

  1. 〘 名詞 〙しもやしき(下屋敷)
    1. [初出の実例]「ある時奥さまの供乗物にておした屋敷行て」(出典:浮世草子・本朝桜陰比事(1689)五)

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日本歴史地名大系 「下屋敷」の解説

下屋敷
しもやしき

[現在地名]洲本市本町ほんまち五―八丁目

城下そと町南部、間形まがた山下東西の通り。東端なか堀西側に沿う堀端ほりばた筋、西方みぞノ丁を経て上物部かみものべ口に通じる。外ノ下屋敷丁ともよばれる武家地で、通幅三間、惣長二三七間。両側とも稲田氏の下屋敷および家臣の屋敷となっていた(「味地草」など)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「下屋敷」の意味・わかりやすい解説

下屋敷
しもやしき

大名屋敷の一つ。本邸である上(かみ)屋敷に対し、別荘として用いられた。江戸近郊(四谷(よつや)、駒込(こまごめ)、下谷(したや)、本所(ほんじょ)など)に多く与えられた。

[編集部]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「下屋敷」の解説

下屋敷
しもやしき

江戸の大名屋敷のうち,郊外に近い場所におかれた別邸。江戸以外の城下町でも,藩主や上級藩士が城館や本邸のほかに設ける例がある。江戸の場合,藩主の遊興保養のための庭園,上屋敷などに必要物資を補給するための菜園や竹林などが造られたほか,海岸・河岸沿いの下屋敷は荷揚げ場としても用いられた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「下屋敷」の意味・わかりやすい解説

下屋敷
しもやしき

大名屋敷」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の下屋敷の言及

【大名屋敷】より

…当初は外様大名の妻子在府にはじまり幕府も屋敷地を適宜賜与していたが,1635年(寛永12)参勤交代制の確立以来,諸大名の江戸藩邸の設置が一般化し計画的な配置が行われるようになった。とくに明暦の大火(1657)後,屋敷を上・中・下に分け,上屋敷は原則として西丸下,丸の内,外桜田,愛宕下に,中屋敷は江戸城外郭の内縁に沿う範囲に,下屋敷は近郊に与えられた。これら幕府からの拝領屋敷のほかに,百姓地を買収した抱屋敷のある場合もあった。…

【武家屋敷】より

…江戸では大名と旗本,御家人に給地され,陪臣には与えられなかった。また用途によって拝領居屋敷,中屋敷,下屋敷,抱屋敷といった類別もされた。拝領居屋敷は幕府から公給される屋敷で,上屋敷ともよばれる。…

※「下屋敷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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