日本歴史地名大系 「切支丹屋敷跡」の解説 切支丹屋敷跡きりしたんやしきあと 東京都:文京区旧小石川区地区小日向茗荷谷町切支丹屋敷跡[現在地名]文京区小日向一丁目台賢(たいけん)寺の南方、伝明(でんみよう)寺の南西方にあった宗門改役方の御用屋敷。キリスト教信者(切支丹)や転宗者を収容したことから俗に切支丹屋敷(山屋敷とも)とよばれ、元来は初代切支丹支配(のちの宗門改役)井上政重の下屋敷であった。政重は正保三年(一六四六)新たな下屋敷を霊巌(れいがん)島(現中央区)に与えられており(徳川実紀)、この前後に当地の下屋敷は御用屋敷として整備されたと思われる。屋敷周囲は土手で囲まれ、表門は東側、敷地内には吟味所・牢獄などを置いた。当初の敷地は七千七〇〇余坪と推定され、元禄一四年(一七〇一)北側の一部は旗本屋敷に割られた(「小日向志」「御府内備考」など)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by