切支丹屋敷跡(読み)きりしたんやしきあと

日本歴史地名大系 「切支丹屋敷跡」の解説

切支丹屋敷跡
きりしたんやしきあと

[現在地名]文京区小日向一丁目

台賢たいけん寺の南方伝明でんみよう寺の南西方にあった宗門改役方の御用屋敷。キリスト教信者(切支丹)や転宗者を収容したことから俗に切支丹屋敷(山屋敷とも)とよばれ、元来は初代切支丹支配(のちの宗門改役)井上政重の下屋敷であった。政重は正保三年(一六四六)新たな下屋敷を霊巌れいがん(現中央区)に与えられており(徳川実紀)、この前後に当地の下屋敷は御用屋敷として整備されたと思われる。屋敷周囲は土手で囲まれ、表門は東側、敷地内には吟味所・牢獄などを置いた。当初の敷地は七千七〇〇余坪と推定され、元禄一四年(一七〇一)北側の一部は旗本屋敷に割られた(「小日向志」「御府内備考」など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ユーラシア大陸、北アメリカ大陸北部に広く分布し、日本では北海道にエゾヒグマが生息する。成獣は体長2メートル以上、体重300キロにもなり、日本最大の陸生動物として知られる。雑食性で草や木の実、サケ、シ...

ヒグマの用語解説を読む