利弘庄・利弘保(読み)としひろのしよう・としひろほ

日本歴史地名大系 「利弘庄・利弘保」の解説

利弘庄・利弘保
としひろのしよう・としひろほ

現利弘町一帯にあった庄園。のち収公されて利弘保と称し、また俊弘とも記した。「出雲国風土記」意宇おう郡にみえる飯梨いいなし郷の一部が、在地の有力者による開発と寄進などを契機として新しく庄園に転化したものと考えられる。文永八年(一二七一)一一月日の杵築大社三月会相撲舞頭役結番帳の第五番に「利弘庄三丁西条余一入道」とあり、真松さねまつ保と同じく東国武蔵の御家人と推定される西条氏が地頭(新補地頭か)であった。その後西条氏がいつまで知行したか明らかでないが、興国元年(一三四〇)六月二一日には名和氏の一族村上兵庫允に「利弘保」が与えられている(「後村上天皇綸旨」名和文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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