日本歴史地名大系 「前小屋村」の解説 前小屋村まえごやむら 群馬県:新田郡尾島町前小屋村[現在地名]尾島町前小屋新田郡の最南端、利根川乱流部の洲嶼に位置し、東は武蔵幡羅(はたら)郡江原(えばら)村(現埼玉県深谷市)・間々田(ままだ)村(現同県大里郡妻沼町)に、南は同郡石塚(いしづか)村・上江原(かみえばら)村(現深谷市)と利根川をへだて相対し、西より北は古利根川河岸から堀口(ほりぐち)村上河原(かみかわら)に接している。南前小屋(みなみまえごや)の共同墓地にある宝暦七年(一七五七)建立の飯塚義益墓碑銘によれば、元亀年中(一五七〇―七三)桐生城(現桐生市)から逃れた義益がはじめて利根川辺を開いたとあり、近世初期の開発とみられる。おおむね幕府領で寛文郷帳では畑方のみ。明暦三年(一六五七)川船奉行より上利根筋七河岸に宛てた役船差出に関する書付証文(北爪文書)によれば「御役銅平太()可被出候事」として「前嶋青木隼人」とあり、青木隼人は当村の船問屋。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by