前布施村
まえふせむら
[現在地名]仁多町佐白
林原村の北、斐伊川と八代川の合流地付近の段丘上に位置する。北は上布施村。中世は布勢郷に含まれた。戦国時代末期と推定される年月日未詳の長谷川貞続等連署状(覚融寺文書)に「前布施村」とみえ、覚融寺は同村円満寺を末寺として進退することを認められている。円満寺は現在廃寺となっているが、弘治三年(一五五七)九月二四日延年院薫首座が同寺住持職を与えられている(「三沢為清判物」同文書)。正保国絵図に村名がみえる。慶安三年(一六五〇)の上布施村検地帳写には当村分の記載もあり、田高一一七石余・反別七町九反余、畑高二四石余・反別三町四反余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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