日本歴史地名大系 「前牟田村」の解説 前牟田村まえむたむら 福岡県:三潴郡大木町前牟田村[現在地名]大木町前牟田笹淵(ささぶち)村の南に位置し、東は大角(おおずみ)村、南は横溝(よこみぞ)村。本高は五一一石余(元禄国絵図)。「在方諸覚書」によると古高六三〇石・役高五七九石余。享和二年(一八〇二)の春免高帳では高五七九石。文化四年(一八〇七)の畝付帳では本田三四町四反余・開田三反余・畑九反余・居屋敷五反余。旧高旧領取調帳の高八一七石余。 前牟田村まえむたむら 熊本県:熊本市前牟田村[現在地名]熊本市出水(いずみ)五―八丁目・江津(えづ)二丁目東は下長溝(しもながみぞ)村、西は田迎手永の田迎(たむかえ)村、北は八王寺(はちおうじ)村である。寛永一二年(一六三五)の地撫帳では、御蔵納は上々田一反八畝余、上田一反九畝余、中田四町八反余、下田五町九反五畝余、下々田一町六反九畝余、上畑六反七畝余、下畑二反一畝余、下々畑二反八畝余である。宝暦一〇年(一七六〇)の下ケ名寄帳では惣畝数一四町四反余、うち御蔵納は田畑一四町三反五畝余、高一六六石五斗余で他は請藪である。 前牟田村まえむたむら 佐賀県:三養基郡上峰村前牟田村[現在地名]上峰村大字前牟田字東前牟田(ひがしまえむた)・西前牟田(にしまえむた)坊所(ぼうじよ)村の南、標高五メートル未満の平地に立地する。正保絵図に村名がみえる。佐賀藩の藩政期には、村は蔵入地と小配分士多数の配分地とが入り交じっていた(嘉永六年写の大小配分石高帳)。野間口(のまぐち)は南西部にある枝村。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by