20世紀日本人名事典 「前田荻邨」の解説 前田 荻邨マエダ テキソン 大正・昭和期の日本画家 生年明治28(1895)年 没年昭和22(1947)年1月19日 出生地兵庫県神戸市 学歴〔年〕京都市立絵画専門学校〔大正8年〕卒,京都市立絵画専門学校研究科〔大正10年〕修了 経歴西村五雲に師事し、晨鳥社会員となる。大正9年帝展に初入選、以来度々帝展に入選し、昭和6年には「潮」で特選を受賞、7年「埠頭」、9年「無量光」をいずれも無鑑査出品している。新文展にも、第2回、第3回と無鑑査で出品。また5〜11年京都市立美術工芸学校教員、11年より没年まで同校教諭として後進の育成にあたった他、晨鳥社でも総務を務めた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「前田荻邨」の解説 前田荻邨 まえだ-てきそん 1895-1947 大正-昭和時代の日本画家。明治28年10月生まれ。西村五雲に師事し,晨鳥(しんちょう)社にはいる。大正9年帝展に初入選,昭和6年「潮」が特選。故郷神戸の港などの風景を俯瞰(ふかん)的にえがいた。母校の京都市立美術工芸学校,京都市立絵画専門学校(現京都市立芸大)でおしえた。昭和22年1月19日死去。53歳。本名は八十八。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by