西村五雲(読み)ニシムラ ゴウン

20世紀日本人名事典 「西村五雲」の解説

西村 五雲
ニシムラ ゴウン

大正・昭和期の日本画家



生年
明治10(1877)年11月6日

没年
昭和13(1938)年9月16日

出生地
京都府京都市

本名
西村 源次郎

経歴
明治23年岸竹堂入門、32年より竹内栖鳳師事。40年第1回文展に「白熊」を出品、以後文展、帝展に出品。大正14年帝展審査員、昭和8年帝国美術院会員、12年帝国芸術院会員。その間、京都市立美術工芸学校教諭、京都絵画専門学校教授。また画塾晨鳥社を主宰した。竹堂、栖鳳らの画風を継いだ独自の花鳥画で、他に代表作「日照雨」「秋茄子」「午間」「秋興」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「西村五雲」の意味・わかりやすい解説

西村五雲
にしむらごうん
(1877―1938)

日本画家。京都に生まれる。本名源次郎。1890年(明治23)岸竹堂(ちくどう)に入門し、竹堂没後の99年からは竹内栖鳳(せいほう)に師事する。93年、第6回日本美術協会展で『菊花図』が褒状を受け、1907年(明治40)第1回文展の『咆哮(ほうこう)』で三等賞を受賞。13年(大正2)京都市立美術工芸学校教諭となり、また同年の第7回文展でも『秋興』で褒状を受けるが、翌年から約10年間は病気のため大作の制作から遠ざかる。24年京都市立絵画専門学校教授、33年(昭和8)には帝国美術院会員、37年帝国芸術院会員となる。代表作に『日照雨(そばえ)』『秋茄子(あきなす)』などがあり、画塾晨鳥社(しんちょうしゃ)を主宰して山口華楊(かよう)らを育てた。

[二階堂充]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「西村五雲」の意味・わかりやすい解説

西村五雲
にしむらごうん

[生]1877.11.6. 京都
[没]1938.9.16. 京都
日本画家。本名,源次郎。1890年岸竹堂,1899年竹内栖鳳に師事。1907年第1回文展で初入選。以後花卉鳥獣を得意とし官展地位を築いた。1925年帝展審査員,1937年帝国芸術院会員となり,京都市立絵画専門学校教授,晨鳥社の主宰者として後進指導にも尽力し,山口華楊らの優れた画家を育てた。主要作品『日照雨 (そばえ) 』 (1931,東京芸術大学大学美術館) ,『秋茄子』 (1932,宮内庁三の丸尚蔵館) ,『午閑』 (1937) 。

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百科事典マイペディア 「西村五雲」の意味・わかりやすい解説

西村五雲【にしむらごうん】

日本画家。京都生れ。本名源次郎。岸竹堂,のち竹内栖鳳に学んだ。洗練された都会的表現を完成,花鳥,動物を主題にした小品が多い。晨鳥社(しんちょうしゃ)を主宰,京都市立絵画専門学校教授を務めた。作品に《日照雨》等。
→関連項目山口華楊

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「西村五雲」の解説

西村五雲 にしむら-ごうん

1877-1938 明治-昭和時代前期の日本画家。
明治10年11月6日生まれ。岸竹堂(ちくどう),竹内栖鳳(せいほう)に師事し,京都画壇で活躍。画塾晨鳥(しんちょう)社を主宰した。京都市立絵画専門学校(現京都市立芸大)教授,昭和12年芸術院会員。昭和13年9月16日死去。62歳。京都出身。本名は源次郎。作品に「日照雨(そばえ)」「秋茄子(なす)」など。

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367日誕生日大事典 「西村五雲」の解説

西村 五雲 (にしむら ごうん)

生年月日:1877年11月6日
大正時代;昭和時代の日本画家
1938年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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