加古川城跡(読み)かこがわじようあと

日本歴史地名大系 「加古川城跡」の解説

加古川城跡
かこがわじようあと

[現在地名]加古川市加古川町・本町

加古川市街の西部、現在の高野山真言宗称名しようみよう寺一帯が城跡。堀跡の一部が水路として残り、九〇メートル四方の方形平面と考えられる。守護所の所在地に当城が築かれたと推定される(加古川市史)城主の糟屋(加須屋)氏は鎌倉時代に播磨守護代であったと推定され(正和四年一一月二三日「六波羅御教書案」東寺百合文書)、守護所をそのまま受継いだと考えられる。天正六年(一五七八)播磨に入った羽柴秀吉は加古川の別所与力加須屋内膳の城を借り(「信長公記」同年二月二三日条)、ここで毛利氏攻撃の軍議を実施した(別所長治記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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