加斗庄(読み)かとのしよう

日本歴史地名大系 「加斗庄」の解説

加斗庄
かとのしよう

飯盛はんせい・加斗を含む地域に比定される荘園。文永二年(一二六五)の若狭国惣田数帳写に本庄の一として「賀斗庄四十町」がみえる。同帳は別に国衙領の応輸田として「加斗加納廿四町二反二百歩」をあげ、除田四町三〇〇歩は不作二町三〇〇歩・下司給一町・公文給一町、定田は二一町一反二六〇歩と記す。これには「領家国衙与円満院雑掌相論、当時雑掌沙汰」の朱注、末尾にも「下司御家人虫生五郎跡、永重二郎太郎伝領之、公文御家人同小二郎弥九郎伝領」の朱注がある。この注は鎌倉末期の状況を示すとされるが、これより推測するに加斗庄は近江国園城おんじよう寺円満院領で、新たに出作で開かれた加納田二四町余の領有をめぐって国衙と円満院が争っていたと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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