加治郷(読み)かじごう

日本歴史地名大系 「加治郷」の解説

加治郷
かじごう

現飯能市のほぼ中央部から入間いるま市にかけての入間川流域に比定される。丹党に属する加治氏の本領。治承五年(一一八一)一一月一一日の源頼朝下文(由良文書)では新田義重が加治郷の郷司職に補任されているが、この下文は偽文書の疑いが濃く検討を要する。下って室町初期と推定される岩松持国本領所々注文(正木文書)のなかに「加治郷」があげられており、当時、加治郷は新田氏一族の岩松持国の所領となっていたことが知られる。東京都青梅市安楽あんらく寺蔵の大般若経巻第一〇九の奥書に「貞治二年仲秋下澣、於武州高麗郡加治郷野田村円照寺書之」とあり、飯能市願成がんじよう寺蔵の応安五年(一三七二)二月一六日の年紀がある大般若経巻第一には、「大日本国武蔵州高麗県加治郷河頬宝(幢カ)院施入経也」という奥書があり、当時、加治郷は高麗こま郡に属していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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