日本歴史地名大系 「加畑村」の解説 加畑村かはたむら 山梨県:都留市加畑村[現在地名]都留市加畑平栗(ひらぐり)村の西に位置し、集落は大幡(おおはた)川支流の東流する加畑川が形成した狭い段丘上にあり、北側背後と川を挟んだ南側は六五〇メートルほどの山となっている。平栗村からの川沿いを走る道は集落を過ぎると南西に進み、天神(てんじん)峠を越えて夏狩(なつがり)村に至る。甲州道中花咲(はなさき)宿(現大月市)から小形山(おがたやま)村を通り夏狩村に至るこの道は桂川左岸を通る古道で、平栗村の浅間社に寄って富士浅間神社(現富士吉田市)や富士山へ向かう富士講の人々が通った道でもあった。文禄―慶長期(一五九二―一六一五)のものと推定される四郡高〆控に村名はみえず、同控に載る中津森(なかつもり)村のうちに含まれていた。ただし「甲斐国志」には「古ヘハ中津森ノ支村ナリシニ、寛文検地ノ時ヨリ別村トナル、然レドモ古ヘ石高ハ各村ニ分チテ年貢ヲ出セシ也」とある。慶長七年の年貢割付状(森嶋芳彦家文書、以下断りのない限り同文書)に平栗村と川畠村が併記されており、当村にあたる川畠村の高二六石余。寛永一九年(一六四二)には加幡村として一本の年貢割付状が出された。寛文九年(一六六九)検地によって中津森村から公式に分村し、同年の検地帳では高二六石余、屋敷筆数六。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by