加藤周兵衛(読み)かとう しゅうべえ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「加藤周兵衛」の解説

加藤周兵衛(初代) かとう-しゅうべえ

1819-1900 幕末-明治時代窯元
文政2年生まれ。嘉永5年(1852)分家して白雲堂と称し,尾張(おわり)(愛知県)瀬戸で製磁業をいとなむ。明治初年に瀬戸窯元取締役となり,5年ウィーン万博出品青花磁製造方取締役,愛知県勧業委員などを命じられた。明治33年9月死去。82歳。

加藤周兵衛(2代) かとう-しゅうべえ

?-? 明治時代の陶業家。
初代加藤周兵衛の子。明治10年愛知県瀬戸で父の窯をつぎ,古窯(こがま)と丸窯を併用してやく。30年北村弥一郎,寺内信一により磁器用の顔料の飛鳥井黄が瀬戸陶器学校でつくられたとき,周兵衛の窯が試し焼きにつかわれたという。通称ははじめ徳七。号は白雲堂。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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