加賀野井村(読み)かがのいむら

日本歴史地名大系 「加賀野井村」の解説

加賀野井村
かがのいむら

[現在地名]羽島市下中町加賀野井しもなかちようかがのい

一色いしき村の東、木曾川西岸沿いに位置。対岸に枝村東加賀野井村(現愛知県尾西市)があり、当村を西加賀野井村ともいった。もとは一郷であったが、天正一四年(一五八六)洪水で川を挟んで分離したという。年未詳六月八日の下間頼龍奉本願寺御印書(円覚寺文書)に「かゝのい」とみえる。戦国期、加賀野井には織田信長・信雄に仕えた加賀野井氏の城があり、天正一二年織田氏・徳川氏と羽柴氏が対立した時にはたびたび戦闘があった。加賀野井弥八郎(重茂)は信雄から加賀野井郷で四一五貫文の知行を宛行われていたが(織田信雄分限帳)、同年五月の戦いで落城、所領は没収され、六月羽柴方の毛利広盛に加賀野井四八〇貫文が宛行われた(「毛利広盛知行目録」毛利文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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