加養村(読み)かようむら

日本歴史地名大系 「加養村」の解説

加養村
かようむら

[現在地名]下妻市加養

袋畑ふくろはた村の南に位置する大村。村内に九世紀頃の造成と推定される一町区画の条里制水田遺構(加養条里遺跡)があり、当地一帯の開発の早さを示す。鬼怒きぬ川旧河道の南にあたり、鬼怒川からの引水によって開発が進行したとみられる。江戸初期に下総大輪藩領となり(寛文朱印留)、のち天領旗本領となる。元禄郷帳の村高は二千四四石余、幕末は旗本土井氏領七九六石余、林氏領三九五石余、山高氏領三七九石余、森川氏領三三六石余、富永稲生・初鹿野各氏領各四二石余、東光とうこう寺領五石。他に地先新田七石余があり、天領であった(各村旧高簿)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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