日本大百科全書(ニッポニカ) 「勅使河原氏」の意味・わかりやすい解説
勅使河原氏
てしがわらうじ
鎌倉時代から室町時代初期に活動した武士の家系。武蔵七党(むさししちとう)のうち丹(たん)党に属す。本貫地は武蔵国賀美(かみ)郡勅旨河原(てしがわら)(埼玉県児玉郡上里町)。祖は秩父基房(ちちぶもとふさ)の子直時(なおとき)という。1184年(元暦1)直時の孫有直(ありなお)は鎌倉方として木曽義仲(きそよしなか)と合戦、89年(文治5)奥州藤原氏追討にも従軍した。有直の子則直(のりなお)もまた御家人(ごけにん)として活動し、1221年(承久3)の承久(じょうきゅう)の乱に一族を率い、幕府方として参戦。子孫は南北朝期後醍醐(ごだいご)天皇の都落ちに従い南朝方となり、1352年(文和1)武蔵野合戦でも宗良(むねなが)親王のもとに参陣している。所領を没収されたらしく、「勅使河原跡」が岩田氏などに与えられている。
[伊藤一美]
『渡辺世祐・八代国治著『武蔵武士』(1913・博文館/復刻版・1971・有峰書店)』