日本歴史地名大系 「勝堂村」の解説 勝堂村しようどうむら 滋賀県:愛知郡湖東町勝堂村[現在地名]湖東町勝堂南は北菩提寺(きたぼだいじ)村。中世には大国(おおくに)庄の一部と推定される。天正(一五七三―九二)末から慶長五年(一六〇〇)にかけては豊臣氏の支配下で、文禄二年(一五九三)一〇月の御蔵入目録(芦浦観音寺文書)に高二六八石余とあるが、これは村高の一部と推定される。慶長五年彦根藩領となり、慶長高辻帳では高八三五石余。文久二年(一八六二)上知。元禄八年大洞弁天寄進帳では男二五二・女二七二、寺社方男三。文化二年(一八〇五)の村明細帳写(押立神社文書)によれば、田方四八町七反余、男二七七・女二四九、牛三七、家数一一八・土蔵五〇、田地用水は宇曾(うそ)川と愛知川の井水を利用。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by