正眼寺(読み)しようげんじ

日本歴史地名大系 「正眼寺」の解説

正眼寺
しようげんじ

[現在地名]箱根町湯本

旧東海道沿いにある。臨済宗大徳寺派、もと大本山と号し、後に放光山と改める。本尊は薬師如来中興開山早雲そううん寺一七世菊径宗存、中興開基は江戸深川ふかがわの材木問屋冬木屋初代上田直次の妻しな。

康元元年(一二五六)作の木造地蔵菩薩立像、同年銘の地蔵・阿弥陀・観音混合摺仏および建長八年(一二五六)銘地蔵摺仏(県史一)など、鎌倉中期には存在が推察される湯本ゆもと地蔵堂伝来と思われる品々を伝えるため、その後身と考えられる。

正眼寺
しようげんじ

[現在地名]小牧市三ッ淵 雉子野

青松山と号し、曹洞宗。本尊は三世如来。「府志」や「徇行記」などによると、応永元年(一三九四)当時の尾張太守青山直正が下津おりづ郷の古刹伝法でんぽう(現一宮市)の廃跡を再興、天鷹を住持として当初は青生山正眼寺と名付けた。同五年には、将軍足利義満が寺領を寄進した。天文九年(一五四〇)の足利義晴御内書写(正眼寺文書)

<資料は省略されています>

とある。文安元年(一四四四)放火により堂宇とも全焼した。その後、将軍義政が後花園天皇の勅命を奉じ再興した。以後、朝廷庇護も受け、永禄五年(一五六二)織田信長も正眼寺の寺領を安堵した。

正眼寺
しようげんじ

[現在地名]美濃加茂市伊深町 寺洞

川浦かわうら川の広い谷底平野の北側にある小山中腹に南面してある。妙法山と号し臨済宗妙心寺派。本尊釈迦如来。妙法山中興記(寺蔵)によれば、寺地の旧名を関山山かんざんやまといい、山中に京都妙心寺開山の関山無相が修行したと伝える空壇があった。中世には黒田山善福寺があったと伝え、荒廃した薬師堂が万治年中(一六五八―六一)まで残存した。ここにあった関山の遺品といわれる箱笈は禅徳ぜんとく寺に移され、同寺の玄与が内に釈迦三尊の小像を安置して祖師像の代りとした。

正眼寺
しようげんじ

[現在地名]福知山市字寺

寺町てらまち筋の北西端近くを南西方に入った庚申こうしん横町の奥にある。明鏡山と号し、曹洞宗。本尊地蔵菩薩。通称庚申寺という。

寺伝によれば大宝元年(七〇一)疫病流行の折に摂津四天王寺(現大阪市)の僧洪範が庚申青面金剛王の降下感得、これを信仰する者は病平癒すると伝え聞き、諸国に祀ったものの一つで、山陰最古の庚申を祀るという。

創建は慶長一八年(一六一三)、近くの久昌きゆうしよう寺三世道華元達を開山とするが、信仰の中心は境内の庚申堂で、立願の時は手縫の猿を奉納するのを例とする。

正眼寺
しようがんじ

[現在地名]厚田郡厚田村大字別狩村

日本海に面する厚田川左岸に位置する曹洞宗寺院。自然山と号し、本尊は釈迦如来。一八六二年(文久二年)四月、松前藩領の曹洞宗寺院である江差正覚しようがく院、松前法源ほうげん寺・同龍雲りゆううん院連名の蝦夷地への末寺建立願が受理され、同年八月に幕府寺社奉行から許可された(「木村時義御用留」北海道大学附属図書館蔵)。三寺院の末寺建立願書提出は一八五七年(安政四年)二月であったから(「法源寺公宗用記録」法源寺文書)、建立実現までに足かけ六年を要したことになる。

正眼寺
しようげんじ

[現在地名]神岡町西漆山

西漆山にしうるしやま集落中央部、漆山岳山麓にある。大悲山と号し、曹洞宗。本尊釈迦如来。「飛州志」では「洞下素玄寺末往古開山始祖未詳、中興第一世格翁門越和尚」とある。「飛騨国中案内」では除地高一斗五合・境内一畝一五歩とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「正眼寺」の意味・わかりやすい解説

正眼寺 (しょうげんじ)

岐阜県美濃加茂市にある臨済宗妙心寺派の寺。山号は妙法山。開山は関山慧玄。宗峰妙超に参禅修行して悟りを得た関山は,その後当地でさらに修行し,花園上皇によって妙心寺開山に招請されるまで隠棲していた。この関山由緒地はその後荒廃し,近世初期に錐翁(すいおう)が復興を行い,領主佐藤吉次の保護で興隆,近世中期には塔頭(たつちゆう)5庵を数えた。近世末に雪潭紹璞(せつたんしようぼく)が専門道場を開設した。〈伊深の鬼叢林〉と称し,厳しい禅の道場として知られる。本堂,庫裡,禅堂,佐藤吉次霊廟など諸宇がある。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「正眼寺」の意味・わかりやすい解説

正眼寺
しょうげんじ

岐阜県美濃加茂(みのかも)市伊深(いぶか)町にある臨済(りんざい)宗妙心寺派の別格本山。妙法山(みょうほうざん)と号し、京都妙心寺の奥の院ともいわれる。本尊は釈迦如来(しゃかにょらい)。妙心寺開山となった関山慧玄(かんざんえげん)が1330年(元徳2)に大燈(だいとう)国師より印可を受けたのち、伊深の山に草庵(そうあん)を結び悟後の修行をしたところとして知られ、関山を開山とする。1658年(万治1)関山の霊跡に大極和尚(おしょう)が寺を創建、1671年(寛文11)妙法山正眼寺と号した。1847年(弘化4)雷鳴雪潭(らいめいせったん)とよばれた雪潭紹璞(しょうぼく)が本山の専門道場を開いてから多くの雲水が集まり、代々力量のある師家が出て明治から大正にかけては「天下の鬼叢林(おにそうりん)」といわれた。現在は正眼短期大学を併設している。

[菅沼 晃]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

事典・日本の観光資源 「正眼寺」の解説

正眼寺

(滋賀県東近江市)
湖国百選 社/寺編」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

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