勝田・勝間田(読み)かつまた・かつまた

日本歴史地名大系 「勝田・勝間田」の解説

勝田・勝間田
かつまた・かつまた

勝田庄であった地域が、庄園消滅後も勝田庄あるいは勝田・勝間田とよばれた。応仁二年(一四六八)正月二八日の清貞秀書状(東寺百合文書)に「かつまた」とみえ、幕府奉行人の貞秀が京都東寺領の遠江国寺領代官に推薦した人物が、当地付近を所望していることを東寺年預増祐に伝えている。これを受けた東寺最勝光院では二月七日の引付の場において「カツマ田」と同院領原田はらだ細谷ほそや(現掛川市)が近所であるかどうかを同郷代官乗幸に聞くことになり(「最勝光院方評定引付」同文書)、乗幸から細谷は国の中ほど、カツマ田は東駿河境との返事があった(同引付二月九日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

〘 名詞 〙 春の季節がもうすぐそこまで来ていること。《 季語・冬 》 〔俳諧・俳諧四季部類(1780)〕[初出の実例]「盆栽の橙黄なり春隣〈守水老〉」(出典:春夏秋冬‐冬(1903)〈河東碧梧桐・高...

春隣の用語解説を読む