日本歴史地名大系 「勝田庄」の解説
勝田庄
かつまだのしよう
勝田庄
かつまたのしよう
勝田庄
かんだのしよう
- 鳥取県:米子市
- 勝田庄
「民経記」天福元年(一二三三)五月巻の紙背文書の年月日未詳某書状断簡(東洋文庫蔵)に「伯州勝田庄」とみえる。同庄は某氏が六代にわたって相伝した地であったが、おそらく承久の乱で後鳥羽上皇方に加わったため没収され、新補地頭が補任された地となっていた。「大山寺縁起」にみえる「当国髪田の浦人」も勝田と同地域をさすと考えられる。勝田庄の比定地については、現米子市勝田町を遺称地とする近世の勝田庄、米子市北部から現境港市にかけての一帯とする説などがある。境港市
勝田庄
かつたのしよう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報