日本歴史地名大系 「勝見沢村」の解説 勝見沢村かつみざわむら 茨城県:東茨城郡常北町勝見沢村[現在地名]常北町勝見沢西田(にしだ)川の南側に位置し、東は下青山(しもあおやま)村。南北に山が迫り、村の中央を宇都宮街道が通る。笠間街道は石塚(いしつか)村から上青山村を経て当村の西を通り、下古内(しもふるうち)村に向かう。人家は宇都宮街道の両側に散在する。弘安大田文に「大橋加津見沢十丁」とみえ、また康安二年(一三六二)の佐竹義篤譲状(秋田県立図書館蔵)には「清音庵領 一、那珂西古内郷、勝見沢村、大橋郷平沢蔵人給分」とある。また佐竹義宣知行充行状写(同館蔵)には「一、百石也 茨城之内 勝見沢内 文禄四年乙未七月十六日(黒印影) 平沢清六郎との」と記される。「水府志料」によると村の東西一六町余・南北一五町余、戸数およそ二三、「村名よろしき故、旗竿、指物竿等を掘り用る事あり」とみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by