北保町
きたほちよう
[現在地名]大津市大門通・観音寺
下大門町の北にある北国海道の両側町で、東方町裏は琵琶湖に臨む。中保町とともに元大津と称されたという。文禄五年(一五九六)一〇月の山上村検地帳写(山上町共有文書)に「北保」六左衛門などとみえ、名請人登録をされており、山上村内に都合三六石余を有していた。「淡海録」に町名がみえる。元禄一四年(一七〇一)当町の網浦主市右衛門が漁場内で藻草取をして荒したとして、堅田浦の西の切・立場・小番城の三方漁師を京都西町奉行に出訴した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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