北国海道(読み)ほつこくかいどう

日本歴史地名大系 「北国海道」の解説

北国海道
ほつこくかいどう

近世大津ふだつじで東海道から分岐、ほぼ古代北陸道のルートに沿い琵琶湖の西岸を北上し、海津かいづ(現高島郡マキノ町)から七里半しちりはん越を経て敦賀へ抜ける街道。西近江路とも称する湖西の幹線道で現国道一六一号のルートに近い。海津から敦賀までは山中海道とよぶ。「源平盛衰記」巻二八の源氏追討使事では木曾義仲追討の平家軍勢がこのルート、つまり「西路には大津、三井寺、片田浦、比良、高島、木津の宿、今津、海津を打過て、荒乳の中山」を越え、北国に向かっている。応永三四年(一四二七)越前敦賀に赴く飛鳥井雅縁は「ま野の浦」「比良の宿」「小松」「しらひげ」「うちをろし」「河原市」「今津」「かいつ」を通り、そのつど景観をよみこんだ歌をつくっている(「越前下向記」)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報