日本歴史地名大系 「北加瀬村」の解説 北加瀬村きたかせむら 神奈川県:川崎市幸区北加瀬村[現在地名]幸区北加瀬、中原(なかはら)区西加瀬(にしかせ)・大倉(おおくら)町東は苅宿(かりやど)村(現中原区)・鹿島田(かしまだ)村、西は矢上(やがみ)村、北は木月(きづき)村(現中原区)、南は南加瀬(みなみかせ)村・小倉(おぐら)村に接する。南の加瀬山の山上は南加瀬村との境界。川崎道・綱島(つなしま)道が通る。「吾妻鏡」建久元年(一一九〇)一一月七日条にみえる加世次郎、承久三年(一二二一)六月一八日条にみえる加世左近将監は当地出身の武士とされる。小田原衆所領役帳には神尾越中守「六拾貫文 小机加世郷」とある。田園簿には「北賀瀬村」とみえる。近世は慶長年中(一五九六―一六一五)旗本間宮領、元禄一五年(一七〇二)同小長谷領、宝永二年(一七〇五)江戸芝増上寺領。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by