精選版 日本国語大辞典 「大倉」の意味・読み・例文・類語
たい‐そう‥サウ【大倉・太倉】
- 〘 名詞 〙
- ① 大きなくら。特に、官府の穀物倉。都に設けた政府の穀物倉。
- [初出の実例]「不レ啄二太倉粟一。不レ穿二主人屋一」(出典:空華集(1359‐68頃)一・竹雀)
- [その他の文献]〔荘子‐秋水〕
- ② 「たいそうしょ(大倉署)」の略。〔運歩色葉(1548)〕
おおくらおほくら【大倉・大蔵】
- 姓氏の一つ。
大蔵・大蔵谷とも書くが、鎌倉時代には大倉が一般的であった。大倉幕府跡を中心として東は
「吾妻鏡」治承四年(一一八〇)一二月一二日条に、頼朝の新亭が「大倉郷」にでき移徙の儀が行われたことを記す。建暦二年(一二一二)四月一八日条には、将軍実朝の御願で「大倉郷」に建立された
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
神奈川県鎌倉市雪ノ下付近の古地名。大蔵とも書く。1180年(治承4)10月源頼朝(よりとも)が鎌倉入りの直後に館(やかた)を営んだ地。のち頼朝が征夷(せいい)大将軍に任ぜられる(1192)と、ここを鎌倉幕府とした(第一次鎌倉幕府(大倉幕府)の地)。いま清泉小学校地。鎌倉開府後、鎌倉へは源氏の御家人(ごけにん)をはじめとして諸方からの流入者が増え、商業が発展してくると、幕府は1248年(宝治2)商人数を定め、翌年には鎌倉の商店街(小町屋)を規制して7街区としたが、大倉辻(つじ)はその一つと認められた。それは大倉の地が幕府の至近地で郎党の居住地区であるうえに、北東方は朝夷奈切通(あさいなきりどおし)(朝比奈切通(あさひなきりどおし))を経て六浦(むつら)津―東京湾―房総(ぼうそう)地方と結ぶ交通の要路にあたっていたことによるのであろう。近くに鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)、源頼朝墓、鎌倉宮などがある。
[浅香幸雄]
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
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