北古賀村(読み)きたこがむら

日本歴史地名大系 「北古賀村」の解説

北古賀村
きたこがむら

[現在地名]筑穂町北古賀

嘉穂盆地の南西部、遠賀おんが川支流の大分だいぶ川と馬敷ましき川とが合流する辺りに位置する。南は長尾ながお村、東は豆田まめだ(現桂川町)、北は久保白くぼしろ(現穂波町)中屋ちゆうや(現桂川町)。小早川時代の指出前之帳では北古賀村の田四三町四反余(分米四五三石余)・畠四町三反余(分大豆一九石余)。慶長七年(一六〇二)の検地高六九三石余、うち大豆四七石余(慶長石高帳)。元禄五年(一六九二)には高七一一石余、家数四二・社一、人数二八七(田圃志)。石高書上帳案の郡帳高も同じ。寛政期(一七八九―一八〇一)の家数三八・人数一七二、牛三六(別本「続風土記附録」)


北古賀村
きたこがむら

[現在地名]大川市北古賀

荻島おぎしま村の西、花宗はなむね川左岸に位置し、西は上巻あげまき村、北は郷原ごうばる村。「寛文朱印留」に村名がみえる。本高は六七六石余(元禄国絵図)。「在方諸覚書」によると古高四六〇石・役高五九〇石。享和二年(一八〇二)の春免高帳では高五九一石。文化四年(一八〇七)畝付帳では本田三四町一反余・開田四反余・居屋敷四反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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