中屋村(読み)なかやむら

日本歴史地名大系 「中屋村」の解説

中屋村
なかやむら

[現在地名]富山市中屋

いたち川左岸に位置し、富山藩領。対岸は加賀藩領西番にしのばん村。元和(一六一五―二四)頃に南八川みなみはちかわ村が上馬瀬口かみませぐち・下馬瀬口・善名ぜんな下番しものばん(現大山町)、中屋・せきの六ヵ村に分村したという(越中志徴)。しかし明暦二年(一六五六)の村御印留では加賀藩領南八川村は草高一千三八三石、免三ツ三歩、小物成は野役二九匁・鮎川役二八匁。万治三年(一六六〇)の領地替で同村は富山藩領となり、元禄一一年(一六九八)郷村高辻帳では高一千二七六石余。享保六年(一七二一)の村付高改帳(島倉家文書)には前記六ヵ村の村名がみえ、中屋村は高六四五石余。


中屋村
なかやむら

[現在地名]大豊町中屋

東流する吉野川の南岸にある山村。比較的平坦地に恵まれる。東は下土居しものどい村。「土佐州郡志」は「東西十五町南北五町」と記す。杖立つえだて峠越の往還が通る。吉野川はこの付近より下流約二キロの間に長瀞を形成。対岸の安野々やすのの村と結ぶ渡場があった(文化九年頃の「豊永郷中家高人数地高諸覚」大家家蔵)。天正一六年(一五八八)の豊永地検帳には「中屋平村」とみえ、検地面積三町九反二五代二歩、うち田分二町九反一四代三歩、畠分三反二七代、屋敷数一六で六反三三代五歩。大部分は都筑喜助ほか多くの長宗我部氏家臣の給地であるが、手作・公領などの直轄地や「ははさま分」がわずかにみられる。小字にイカタツ(筏津)があり、また「大道」がみえ、大道は前記杖立峠越の往還に比定できる。


中屋村
なかやむら

[現在地名]金沢市中屋町・みどり三丁目

下福増しもふくます村の東、安原やすはら川の下流西岸に位置する。東は上安原村正保郷帳では上安原村と併記され、両村合せて高一千七八四石。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では高九八九石・免四ツ四歩(三箇国高物成帳)。寛文年間の家高数一一・百姓数二一(高免付給人帳)。宝永五年(一七〇八)には家数五四・人数二九二、馬一一(「高免家数等覚帳」後藤文書)


中屋村
ちゆうやむら

[現在地名]桂川町中屋

寿命じゆめい村の西に位置する。集落は本村のほか蔵元くらのもとにある(地理全誌)。村内に馬場島村があった(続風土記)。村の西を流れる内野うちの(現穂波川)に千地川が合流する。小早川時代の指出前之帳では中屋村の田七町余(分米九九石余)・畠一町余(分大豆五石余)。慶長七年(一六〇二)の検地高二六四石余、うち大豆二二石余(慶長石高帳)。元禄五年(一六九二)には仲屋村の高二六六石余、家数二〇・人数一一〇(田圃志)。石高書上帳案の郡帳高も同じ。寛政期(一七八九―一八〇一)の家数二〇・人数七八、牛九・馬一(別本「続風土記附録」)


中屋村
なかやむら

[現在地名]大東町中湯石なかゆいし

村の北、あか川上流域の右岸に位置し、支流福谷ふくだに川流域にある。「出雲国風土記大原郡にみえる毛間けま村は当村辺りに比定される。川中に温泉が出たと記される。元禄十年出雲国郷帳によれば高一七六石余、寛文四年(一六六四)には本田高一五〇石余・新田高五斗余。「雲陽大数録」によれば高一三〇石。明治八年(一八七五)湯村など二村と合併して中湯石村となる。「郡村誌」によると中湯石村の戸数一一七(うち社三)・人数五四二、民業は農業五三戸・工業一五戸・商業一五戸・炭焼三〇戸、物産は生人参一五〇貫目・菜種一三石・楮六五〇貫目・櫨実三〇貫目・桐油実一六〇石・荒苧一二〇貫目・薪七千貫目・炭一万三千八〇〇貫目・木綿二〇〇反。


中屋村
なかやむら

[現在地名]岐阜市中屋・中屋西なかやにし中屋東なかやひがし

古市場ふるいちば村の南東にあり、村の東で長良川と武儀むぎ川が合流する。慶長一五年(一六一〇)の徳川家康朱印状写(徳川林政史研究所蔵)に中屋村一九一石余がみえ、石河光忠領となっている。同氏はのち尾張藩の家老となるが、以後当村は尾張藩給人の同氏領として推移したと考えられる。慶長郷帳でも高一九一石余。正保郷帳では田一一八石余・畑七〇石余・紙桑木高一石余。明暦覚書では概免四ツ二分八厘余、人数一〇一、牛・馬各二、舟役銭が課せられていた。


中屋村
なかやむら

[現在地名]安土町中屋

小中こなか村の南に位置し、北西は慈恩寺じおんじ村。村域はほぼ平地であるが、中央部にきぬがさ山から南西に延びる支陵の先端にあたる竜石りゆうせき山がある。集落は村の北部を占める。文禄二年(一五九三)の御蔵入目録(芦浦観音寺文書)に村名がみえ、高七三七石余、豊臣秀吉直轄領。寛永一一年(一六三四)旗本野一色領となり、同領で幕末に至る。


中屋村
なかやむら

[現在地名]白川町中川なかがわ 中屋

白川右岸の山間地に位置する。北は佐見の成山さみのなりやま村。東は大沢おおさわ(現東白川村)、南は須崎すさき村。佐見に行くには中屋峠を越した。慶長郷帳では高五九石余。元和二年(一六一六)の村高領知改帳では遠山友政(苗木藩)領で、以後幕末まで続く。正保郷帳では田方三五石余・畑方二三石余。


中屋村
なかやむら

[現在地名]香寺町中屋

中野なかの村の北西に位置する。享保三年(一七一八)中野村中屋敷なかやしきが分れて成立した(神崎郡誌)生野いくの街道が通る。寛延年間(一七四八―五一)の高二一九石余(同書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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