北堀村・南堀村
きたほりむら・みなみほりむら
[現在地名]長野市大字北堀・大字南堀
西は中越村と、南は石渡村、北は富竹村と境する。
明徳三年(一三九二)の「高梨薩摩守朝高并一族以下被付給人所々注文」(高梨文書)に、「同郡東条庄内石渡部郷・堀郷」とあるように、東条庄内の一郷村であったが、天正六年(一五七八)の諏訪社上社の上諏訪大宮同前宮造宮帳に「外垣弐拾間 東条庄(中略)合弐貫六百文 南堀之郷、合仁貫文 北堀之郷」とあるように二郷に分立した。慶長七年(一六〇二)の川中島四郡検地打立之帳(小柳文書)に「三百五拾石五斗 南堀村」「三百五拾壱石九斗四升五合 北堀村」とあるように、村定めができ、江戸時代を通じて松代領であった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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