北山愛郎(読み)キタヤマ アイロウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「北山愛郎」の解説

北山 愛郎
キタヤマ アイロウ


肩書
元・衆院議員(社会党),北山愛郎政治経済研究所所長

生年月日
明治38年7月16日

出生地
岩手県花巻市

学歴
東京帝国大学法学部政治学科〔昭和5年〕卒

経歴
東京市役所に入り、その後、中国で日本側の貿易統制機関に。戦後、昭和22年社会党公認で岩手県・花巻町(現・花巻市)町長となる。28年以来岩手2区から衆院当選10回。党内では一貫して理論・政策畑を歩き、39年同党の綱領的文書とされた「日本における社会主義への道」の起草者の一人。55〜57年党副委員長、のち社会主義理論委事務局長、政策審議会長を歴任。この間、55年公明党との社公政権合意に尽力、社会党の共産党離れの契機を作った。きまじめな人柄と思想的な一貫性が多くの信奉者を生み、地元では社会党のシンボル的存在だった。人民服に似た特注のノーネクタイ服で登院し、“毛沢東”と呼ばれたりもした。57年北山政治経済研究所を設立、所長。58年の総選挙では落選。政界引退後も隔週刊「政治情報―解説と資料」を発行し、政治に強い関心を持ち続けた。

趣味
読書 音楽 花

没年月日
平成14年2月22日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

関連語 学歴

20世紀日本人名事典 「北山愛郎」の解説

北山 愛郎
キタヤマ アイロウ

昭和期の政治家 北山愛郎政治経済研究所所長;元・衆院議員(社会党)。



生年
明治38(1905)年7月16日

没年
平成14(2002)年2月22日

出生地
岩手県花巻市

学歴〔年〕
東京帝国大学法学部政治学科〔昭和5年〕卒

経歴
東京市役所に入り、その後、中国で日本側の貿易統制機関に。戦後、昭和22年社会党公認で岩手県・花巻町(現・花巻市)町長となる。28年以来岩手2区から衆院当選10回。党内では一貫して理論・政策畑を歩き、39年同党の綱領的文書とされた「日本における社会主義への道」の起草者の一人。55〜57年党副委員長、のち社会主義理論委事務局長、政策審議会長を歴任。この間、55年公明党との社公政権合意に尽力、社会党の共産党離れの契機を作った。きまじめな人柄と思想的な一貫性が多くの信奉者を生み、地元では社会党のシンボル的存在だった。人民服に似た特注のノーネクタイ服で登院し、“毛沢東”と呼ばれたりもした。57年北山政治経済研究所を設立、所長。58年の総選挙では落選。政界引退後も隔週刊「政治情報―解説と資料」を発行し、政治に強い関心を持ち続けた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「北山愛郎」の解説

北山愛郎 きたやま-あいろう

1905-2002 昭和時代後期の政治家。
明治38年7月16日生まれ。東京市職員などをへて,昭和22年社会党公認で故郷岩手県花巻町の町長となる。28年衆議院議員(当選10回)。左派政策通で,政策審議会長,副委員長などを歴任。平成14年2月22日死去。96歳。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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