北池村(読み)きたいけむら

日本歴史地名大系 「北池村」の解説

北池村
きたいけむら

[現在地名]高砂市阿弥陀町北池あみだちようきたいけ

南池村の北、魚橋うおのはし村の西に位置し、山陽道が通る。印南いなみ郡に属した。江戸時代初期には南池村とともに新池しんいけ村と称した。貞享元年(一六八四)の本多忠国領知目録(本多家文書)に村名がみえ、江戸時代を通じて姫路藩領。元禄郷帳では「古ハ新池村」と注記され、高四六五石余。明和九年(一七七二)の村明細帳控(船津家文書)では高五八六石余、うち西阿弥陀にしあみだ時光じこう寺領一〇石・同村大日だいにち寺領一石余、反別は田方二五町六反余・畑方四町七反余、ほかに新田高三石余・反別八反余がある。


北池村
きたいけむら

[現在地名]浅井町北池

南池村の北に位置。慶長七年(一六〇二)八月七日の検地帳(佐治文書)によって反別と分米を示すと上田一一町三反余・一六九石余、中田六町余・七八石余、下田四町五反余・五〇石余、上畠二町八反余・二二石余、中畠八反余・一〇石余、下畠三町余・六石余、屋敷一町一反余・九石余で、田畠合二九町七反余・三四六石余。寛永石高帳によれば高三五〇石余のうち三〇六石余は彦根藩領で、以後変化なし。四三石余は小堀とのみあり、小堀遠州領(幕府領か)・旗本小堀正十領のいずれかは不明であるが、正保郷帳では小堀遠州領(幕府領か)、元禄郷帳では旗本小堀政尹領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android