南池村
みなみいけむら
[現在地名]高砂市阿弥陀町南池・中筋五丁目
魚橋村の南西に位置し、竜山丘陵の西部の平地に立地する。印南郡に属した。「播磨国風土記」印南郡大国里の条にみえる池之原は当地に比定され、中世には「浅から池」といわれた伊保庄の用水池であったとみられる。姫路城主池田輝政が上部井堰の水路を整備・延長し、池を干拓して新田を開発したという(増訂印南郡誌)。
南池村
みなみいけむら
[現在地名]浅井町南池
今庄村の北に位置。「輿地志略」には専覚寺跡・悲現寺跡(ともに宗派は不明)の記載がある。慶長三年(一五九八)八月二三日の石田三成宛行状(前野文書)によれば、当村一八六石余が前野右衛門太郎に与えられている。寛永石高帳では高二〇七石余で小堀遠州領(幕府領か)、正保郷帳では旗本小堀正十領、元禄郷帳では旗本小堀政尹領となっており、以後は同家に伝えられた。
南池村
みなみいけむら
[現在地名]物部村南池
上韮生川中流南岸にある山村で、東から南は六〇〇メートル級の山が重畳し、川を隔てて対岸に大西村がある。「土佐州郡志」は「東西十二町南北十三町、戸凡二十二、其土黒、相伝、古村南上有池故名云今為田」と述べ、「南池・磯波郡・鈴之瀬、三村惣南池村也」と記す。
韮生郷に属し、天正一六年(一五八八)の韮生谷地検帳には南池ノ村として一九筆一町四反二九代が記される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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