北畠顕雅(読み)きたばたけ・あきまさ

朝日日本歴史人物事典 「北畠顕雅」の解説

北畠顕雅

生年:生没年不詳
室町時代武将伊勢国司北畠顕泰の次男,満雅の弟。大河内顕雅とも。正長1(1428)年の後南朝の反乱で兄満雅が戦死したのち,幼い継嗣教具を助けてよく国司家の命脈を維持した。永享2(1430)年4月,室町幕府は満雅の奉じた南朝の後胤小倉宮(聖承)を京都で出家させ,国司家の存続を認めた。北畠氏の旧領である伊勢国一志・飯高2郡(三重県松阪市,飯南郡)は,前年,伊勢守護土岐持頼および長野氏に給付されていたが,将軍足利義教はこれを取り戻し,改めて顕雅に安堵した。義教と国司家の間を斡旋したのは赤松満祐であった。嘉吉1(1441)年に非参議従三位に叙せられたが,同年のうちに出家している。

(西山克)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「北畠顕雅」の解説

北畠顕雅 きたばたけ-あきまさ

?-? 室町時代の武将。
北畠顕泰(あきやす)の子。伊勢(いせ)(三重県)大河内(おおこうち)城を居城とし,大河内を称した。正長(しょうちょう)元年(1428)兄満雅(みつまさ)が小倉宮を奉じて挙兵した際ともにたたかったが,兄が戦死すると北朝方にくだり,将軍足利義教(よしのり)に一志(いちし)・飯高(いいたか)2郡の領有をみとめられた。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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