改訂新版 世界大百科事典 「小倉宮」の意味・わかりやすい解説
小倉宮 (おぐらのみや)
生没年:?-1443(嘉吉3)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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第99代後亀山(ごかめやま)天皇の皇子恒敦(つねあつ)親王の王子。法名聖承(せいしょう)。嵯峨(さが)小倉山下に住したのでこの称を得たものと思われる。後亀山京都還幸の条件中に両統迭立(てつりつ)の一条があったが、称光(しょうこう)天皇崩御にあたり、室町幕府はまた持明院(じみょういん)系の後花園(ごはなぞの)天皇を擁立した。聖承は子教尊(きょうそん)をたてる意があったので、1428年(正長1)伊勢(いせ)国司北畠満雅(きたばたけみつまさ)を頼って挙兵したが、利を失って満雅戦死、聖承も帰洛(きらく)した。将軍足利義教(あしかがよしのり)は聖承を厚遇し、その子教尊を猶子(ゆうし)として出家させ勧修寺(かじゅうじ)に入れた。34年(永享6)出家、聖承となるが、その後の事歴は不明。俗説では後亀山天皇の皇子、また良泰(よしやす)親王などともいわれる。
[小野信二]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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