北見町(読み)きたみちよう

日本歴史地名大系 「北見町」の解説

北見町
きたみちよう

[現在地名]網走市南一条西(みなみいちじようにし)・南一条東(みなみいちじようひがし)・南二条西(みなみにじようにし)・南二条東(みなみにじようひがし)・南三条西(みなみさんじようにし)・南三条東(みなみさんじようひがし)・南四条西(みなみよじようにし)・南四条東(みなみよじようひがし)・南五条西(みなみごじようにし)・南五条東(みなみごじようひがし)・南六条西(みなみろくじようにし)・南六条東(みなみろくじようひがし)・南七条西(みなみななじようにし)・南七条東(みなみななじようひがし)・南八条西(みなみはちじようにし)・南八条東(みなみはちじようひがし)・南九条東(みなみきゆうじようひがし)・南十条東(みなみじゆうじようひがし)・桂町(かつらまち)・桂町一―五丁目

明治一四年(一八八一)一一月一五日の布達により網走村のうち網走川右岸域が分離し成立(事業報告布令類聚)。前近代にはアバシリ場所の大番屋が置かれた地で、明治一三年七月に網走斜里常呂紋別郡役所が開庁していた(「事業報告」第一編)。同一四年から付近一帯の測量が行われ、網走川河口の藤野家の土地から西部にかけての一帯を東西へ一〇町、南北に五町を縦横に区切り、仲通・南通・南裏通・北通とし、八間から六間の道路を設け市街地を区画した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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