北野川村(読み)きたのがわむら

日本歴史地名大系 「北野川村」の解説

北野川村
きたのがわむら

[現在地名]清水町北野川

二沢にさわ村の北、三腰みこし(現四村川)の支流北野川筋の山間部に位置し、「続風土記」に「二沢・川合の北にあるを以て村名おこる、村二ツに分かれて東にあるを上村といひ、西にあるを下村といふ」とある。

慶長検地高目録には村名はなく、当時は中原なかはら村に含まれた。のち分村、天保郷帳では村高九八石余。寛政一一年(一七九九)の北野川村持高当作高并人別御調ニ付書上ケ帳(堀江家文書)によれば家数三一(うち無高六)、人数一二九(男六八・女六一)、牛一〇。大工職二人、木挽職二人、鍛冶職二人、奉公に出ている者四人、そのほか「日々稼并冬春葛蕨掘稼人」六人や「家内者共日々百姓方日用稼并冬春葛蕨掘出渡世仕候」者などがいた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報