北長太村(読み)きたなごむら

日本歴史地名大系 「北長太村」の解説

北長太村
きたなごむら

[現在地名]鈴鹿市北長太町・長太新なごしん町一―四丁目・長太旭なごあさひ町一―六丁目・長太栄なごさかえ町一丁目・同三丁目

西の池田いけだ村と同じく、鈴鹿川派川の南に位置する。古代河曲郡海部あま郷の地である。近世以前は海岸線にあったと推定されるが、鈴鹿川デルタの進展著しく、砂洲上に出郷の北浜きたはま集落が成立している。付近海岸を長太の浦といい、蜃気楼の名所であった(伊勢名勝志)。「神鳳鈔」には「永男(長用)御厨」とあるが、一名長江ながえ村ともいい、尾張津島つしま(現津島市)への渡場でもあったので津島の渡ともいった(参宮名所図会)。永享二年(一四三〇)九月二日の御前落居奉書(東京大学法学部蔵)に「北野宮祠官権律師明兼申伊勢国長太・石津・加納・堀江等領家職事、去永和・嘉慶年中、以不知行之地御寄附之間、致粉骨、令安堵、得門跡聖護院素意、入当宮領目録訖」とあり、長太の領家職は永和年中(一三七五―七九)以降、北野きたの(現京都市)に伝領されていたことがわかる。また文明五年(一四七三)六月、伊勢湾沿岸に設けられた新警固に対して神宮が神船渡海の妨げとして各地豪族に対し廃止を求めた庁宣で「新警固所々事」としてあげた七浦のなかに「北永江」がみえ(内宮引付)、北長太が湊としての機能をもっていたことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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