北門前町(読み)きたもんぜんちよう

日本歴史地名大系 「北門前町」の解説

北門前町
きたもんぜんちよう

左京区仁王門通新高倉一丁東入

南北に通る東大路ひがしおおじ両側、北は二条にじよう通、南は仁王門におうもん通の南側にわたる地域。宝永五年(一七〇八)の大火後、寺院を集めて開かれた。「坊目誌」の法皇寺北門前町の項には「享保四年東寺町の名を下す。


北門前町
きたもんぜんちよう

下京区松原通堀川西入南側

東西に通る松原まつばら(旧五条大路)に面する南側の片側町。

平安京の条坊では左京六条二坊一保一町北側と同八町北側にあたり、平安中期以降は五条大路堀川大路の西の地。町名は六条本圀ほんこく寺の北門前に位置するところに由来する。

寛永一四年(一六三七)洛中絵図には「町屋門前」とあって町の存在がうかがえるが、寛文一二年(一六七二)・宝永二年(一七〇五)・天明六年(一七八六)の地図には現町名の記載はなく、来迎堂らいこうどう町の名がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android