北青木村(読み)きたあおきむら

日本歴史地名大系 「北青木村」の解説

北青木村
きたあおきむら

[現在地名]会津若松市門田町もんでんまち黒岩くろいわ花見はなみおか三丁目・建福寺前けんぷくじまえ天神町てんじんまち

小田おだ山西麓にあり、北は小田村、南は南青木村。古くは南青木村と一村であったが、元禄年間(一六八八―一七〇四)頃に分村したという。明徳二年(一三九一)五月一三日の某判物(新編会津風土記)によれば、刑部律師什明が諏訪神社社務職に任命されており、その時の知行地の一つに「黒岩大明神々田在青木村二千二百束苅」とあるが、この文書には疑問がある。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録では青木とあり、高七七六石余。南青木組に属し、文化一五年(一八一八)の村日記では高三二一石余。化政期の家数三六(新編会津風土記)。明治四年(一八七一)の家数三六(寺一)・人数一八七(人員録)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む