北須釜村(読み)きたすがまむら

日本歴史地名大系 「北須釜村」の解説

北須釜村
きたすがまむら

[現在地名]玉川村北須釜

阿武隈高地西縁の丘陵地に位置し、南は南須釜村中世には須鎌・炭釜などと記される。貞治六年(一三六七)七月一二日の足利義詮御教書(安保文書)に「石河庄内泉郷高田・北炭釜・佐宇里等」とみえ、これらの地が勲功の賞として結城朝常に与えられており、これ以前に炭釜が南・北に分けられた可能性がある。また、当地から高田たかだにあたる現石川町市街付近にかけてを含む一帯は、いずみ郷と称されていたらしい。正長二年(一四二九)と推定される四月九日の足利満直書状(仙台結城文書)によれば、「石河庄之内比須釜村」が石河左近将監に安堵されており、これは北須釜村のこととされる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む