北風原村
ならいはらむら
[現在地名]鴨川市北風原
寺門村・横尾村の西、加茂川の上流域に位置し、長狭道が通る。北は上総国周淮郡。中世は長狭郡柴原子郷のうちで、建武五年(一三三八)一〇月一一日の源某寄進状(安田文書)に奈良井原とみえ、柴原子郷上村内の当所田地一町が大山寺(現平塚の大山不動堂)の大般若経転読料所として寄進されている。近世初期には横尾村に含まれ、元和二年(一六一六)分村した。正保郷帳では高四一九石余、うち田方三三〇石余・畑方八八石余、旗本内藤領。ほかに安国寺領四石・松尾寺村長福寺領二石があった。延宝五年(一六七七)内藤氏の領地替により幕府領となる。同九年三三五石余が幕府領(大組)、八三石余が旗本向坂領(小組)となり(延享四年「村明細帳」永井家文書)、向坂領は幕末まで変わらず、幕府領は元禄一五年(一七〇二)旗本酒井領となり、幕末に至る(「寛政重修諸家譜」・元文村高帳・改革組合帳など)。安国寺の朱印寺領四石のうち一石余が村内にあり幕末まで伝えられたが、旧高旧領取調帳ではほかに長慶寺(現廃寺)の除地一石余があった。
延享四年(一七四七)の前掲村明細帳は向坂領のもので、同帳によると高八三石余の反別七町八反余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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