日本歴史地名大系 「大山神社」の解説
大山神社
おおやまずみじんじや
〔祭神〕
「古事記」によると大山祇神は伊弉諾・伊弉冉の二神の子で、同書および「日本書紀」の一書では山の神とし、書紀のほかの一書は火神の分神とする。また「古事記」は、伊弉諾命が十拳剣で迦具土神を斬った時、
とあり、宇知は乎知(越智)の誤記であるが、大山祇神は和多志神とも称し、百済国から渡来して摂津国三島に鎮座、のち伊予国に勧請した旨を述べている。摂津国の神社とは
「伊予国風土記」逸文の説話には次の解釈がある。
(一)越智氏が朝鮮半島出征に際してこの神を奉じて出向し、仁徳天皇の代にこの神を戴いて帰朝したことをさしたとする。しかし仁徳天皇以前に大和朝廷外征の史実はなく、また越智氏とよぶ強大な部族の出現ははるかに時代を降る。おそらく風土記編集の頃大山祇神が百済から渡来したとの伝承が醸成されていて、百済と関係づけることで評価を高めようとする思想が広く存在していたためと考えられる。
(二)「日本霊異記」には、越智直が百済に出征して唐軍の捕虜となり、中国へ拉致され、九死に一生を得て帰国したが、朝廷は労苦をねぎらって彼の要望により越智郡がつくられたとの話がある。そこで、この伝承から大山祇神の百済から渡来した説話が生れたとする。この説話は越智郡の創設時期を推察する一参考資料ではあるが、大山祇神に関する伝承の根源とするには無理である。
社伝によると、大山祇神以外に面足尊・吾屋惶根尊・高神・闇山祇神を祭祀している。
大山神社
おおやまじんじや
大山神社
おおやまづみじんじや
大山神社
おおやまじんじや
大山神社
おおやまづみじんじや
大山神社
おおやまつみじんじや
大山神社
おおやまじんじや
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報