日本歴史地名大系 「北鷲田村」の解説 北鷲田村きたわしだむら 愛知県:額田郡幸田町北鷲田村[現在地名]幸田町菱池(ひしいけ)東は大草(おおくさ)村、西は菱池沼開発地で高力(こうりき)村・鷲田(わしだ)村と接し、南は林で鷲田村、北は赤(あか)川で高力村と接する。北鷲田神明宮の伝承(参河国額田郡神社誌)に大草村の出郷とあるが、分村年代を永正九年(一五一二)と伝えていのは疑問である。「正専寺要集」では鷲田村からの分村とし、「松平主殿ノ守、西ノ郡ヨリ刈谷(ママ)ヘ替エノ時、弟兵庫ヘ大草ヲ分知セラレ候。時ニ高不足ニ付イテ加村ニナリ其ノ時ヨリ切申候」とある。深溝藩主松平忠利の吉田(よしだ)(現豊橋市)藩転封は慶長一七年(一六一二)で、大草地頭松平忠隆が領主となるのは元和元年(一六一五)である。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by