日本歴史地名大系 「医師学問所跡」の解説 医師学問所跡いしがくもんじよあと 徳島県:徳島市徳島城下塀裏医師学問所跡[現在地名]徳島市幸町三丁目一一代徳島藩主蜂須賀治昭により設けられた医師学問所。寛政七年(一七九五)に治昭は京都から小原俊悦(春悦・春造)を招聘して沖洲(おきのす)御用屋敷に医師学問所を創設、桑村竜蔵を当分医師学問所御用受持、御用担当として藩医堀本策、藤岡玄策・吉益要人・林東儀・先山春祥・三間才知助を任命した。生徒は「御医師本人子弟とも年若面々、右御場所へ罷出、無懈怠勤学可仕候」とし、特筆すべきは「且又倍(陪)臣・市郷之者とも、医業相勤候者は、堀本策・藤岡玄策方江主人又は支配頭より名面指出承置候上」で出席してよいとされている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by